シャワーを浴びよう
楽しい夕食も終わり、日付も変わったが、寝る前にもうひと仕事。シャワーを浴びることにする。
水と一緒に配られていたアメニティを持って……
車両端のトイレへ。
シャワールームはトイレ内に併設されている。285系(「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」)のようなシャワールームは無いのだ。寝台車に設置されているので、この設備代も寝台料金の内か。
シャワーヘッドは特に変哲のない銀色のもの。ボタンを押すと湯が出てくる仕組みになっている。
水の勢いはそこそこで、温度を上げればちゃんとお湯が出てくる。快適だ。
マイナス要素と言えば、トイレ側との仕切りがカーテン1枚なせいで、ガッツリ水が飛んでいくことだろうか。裾が短すぎんねん。
なお、シャワーカードのようなシステムはなく、水は使い放題。他の人の旅行記やブログを見る限り、水不足で使えなくなったり、道中で水を補給して再稼働したりするようだ。
お部屋に戻る際はこの金属板みたいな白い穴あきカードキーで。
車掌に使い方を聞いたところ、「開かないと思ったらパワーで」とのことらしい。キーをぐっと押し込み、強引に扉を押したら開いた。それでいいのか。
ともかく、我々2名は無事にシャワーを浴びることに成功し、憂いなく眠りに就くのであった。
クラクフ、そしてオシフィエンチム
朝5時半。まだ寝ていたいが、クラクフ着は6:17の予定だ。頑張って身体を起こす。ちょうど、車掌が朝食を配りに来ていた。
朝食はこのような紙ケースで提供される。パンが2つに、それにつけるジャムやバター。ウエハースにオレンジジュース。思ったより色々入っている。
昨晩のうちにコーヒーか紅茶か聞き取り調査が行われたが、それらは温かい状態で持ってきてくれた。
寝ぼけ眼をこすりながらパンをかじり、オレンジジュースを飲む。2食連続のオレンジジュースになったが、こっちも美味い。
6時20分ごろ。定刻より僅かに遅れたが、無事クラクフ中央駅(Kraków Główny)に到着。あまり列車が来ていないタイミングのため、広さを感じる。何となく金沢駅っぽい。
クラクフはポーランド南部に位置し、中世ポーランドの首都だった古都。日本で言えばワルシャワが東京で、クラクフは京都といったところか。
さて、乗り継ぎまでは2時間ほどの猶予だ。宿に荷物を預けるべく、一旦外に出る。
今日も元気に道に迷いつつ、30分ほどかかって宿に到着。
本日の宿は「Hotel Alexander II」。駅から10分ほどのところにある。トラムやバスも乗っていないのに何を迷ってんですかね……。
幸い、荷物はスムーズに預けられたので、駅近辺をうろうろ。
クラクフのトラム。やはり自動車が列車の後をついていく。
広場とともに、立派な駅舎が建っている。クラクフ中央駅の旧駅舎だ。
2022年、この建物や広場がウクライナからの避難民向けの滞在施設になろうとは、この時点では夢にも思っていない。
駅直結のショッピングセンター。
クラクフ中央駅構内へは、一度ここに入る必要がある。内部で一度階段を降り、ホームへは再び階段を上がる構造だ。
ホームへ上がる階段の手前には扉がある。防寒用だろうか。
3月に入ったとはいえ、クラクフの朝は寒い。
乗り継ぎ先の列車を発見。8:34発のオシフィエンチム行きだ。丸ノ内線みたいな塗装してんなお前。
車内の電光掲示板は新しく、座席の座り心地も悪くない。が、全体的には古臭さが隠し切れていないか。いよいよ金沢駅の475系みたいで大変よろしい。
オシフィエンチムまでは2時間弱の行程。
それにしても、電光掲示板を眺めていても全く読めない。せっかくチェコ語に親しんできていたのに、ポーランド語に変わった瞬間経験値リセットだ。
3日ぶりの「文字から音に変換できない」気持ち悪さを覚えつつ、列車は定刻通り出発\グオオオオオン/うるっせえ!!
どうやら見た目相応に足回りも古いらしく、吊り掛け駆動車か東急8500系かというレベルの爆音走行。鉄道旅行に耐性がなかったら辛かっただろう。
10分もするとクラクフの市街地を離れる。国名に「平原」の意を持つ通り、高い山は見かけず、平べったい風景が広がる。
9:47ごろ、トシェビニャという鉱工業の町に到着。石油精製所があるらしく、タンク車を留め置く貨物駅が確認できた。
正直なところ、このトシェビニャ以外では風景に変化が少なく、我々2名は暇を持て余していた(植生とかの知識があればよかったのにね)。
だもんで、「地球の歩き方」をパラパラ捲って明日の旅程を考え始める。旅程表ではクラクフを1日中ぶらつくことになっていたが……
「お」
「乗り鉄もできるしそっちに行くか」
要約するとこのような会話をしていた。
ワルシャワ~クラクフ間は約250km。東京観光の最中に突如浜松や福島へ赴くようなものだ。大胆な旅程変更はガバガバ旅行の特権。
10:21、列車は定刻通りオシフィエンチムに到着。
オシフィエンチム、ドイツ語名アウシュヴィッツ。言わずと知れた、第二次大戦の悲劇の地である。
アウシュヴィッツ
駅前の店は空いていなかったので、バスに乗って移動。アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の近くにやってきた。
既に怪しい線路が伸びていて身構える。絶対ただの引き込み線跡じゃないぞ……。
ひとまず、英語ガイドツアーが12:30開始予定なので、それまでに昼食を取ってしまう。
博物館近くの建物(どうやら観光案内所も兼ねているらしい)にピザ屋があったので食べ。お値段は23ズウォティ(zł)。1ズウォティは30円前後なので、だいたい690円か。ポーランドは物価が安い。
なおこの店、当時は知らなかったが、Google Mapだとやたら評価が低く、274件の口コミで貫禄の☆1.9である(2022年6月11日現在)。
しかし実食した身としては、味もサービスも責めるほど酷くはなかった、というのが率直な感想だ。観光地かつ周囲の食事場所が少なめなので、必要以上にヘイトを集めてしまっている可能性もあるか?
博物館の入り口では多くの観光客がツアー開始を待っている。
手荷物預かり所にリュックサックを預けて身軽になってみたが、寒い。食事を終えてから、雲と風が連携攻撃を放ってやがるのだ。風除けとして背負っていた方が良かったかしら。
コートのフードをしっかりと被り、不審者スタイルでやり過ごす。
いよいよツアー開始。
野外展示、かつ参加者も多いので、参加者はこのヘッドホンを装着し、ガイドの案内を聞くスタイルだ。耳あて代わりになって、少し寒さを和らげてくれる。
ツアー開始早々にやってきた、「ARBEIT MACHT FREI」の看板を擁するゲート。「B」の文字が逆さまになっており、収容された人々の抵抗の印だとか、いや単に当時流行りの書体だとか、諸説ある看板である。
それはいいんだけど、この角度だと「B」の文字が見えません。写真上手い下手とかそういうレベルじゃねーぞ!
残っていた写真の中でマシなのを持ってきた(他にないんですか)。
よーく見てほしい。「B」の2つの半円のうち、上が大きくなっているのが分かる。
参加者はいくつかのグループに分かれている。それぞれが別のガイドについていき、別のバラック内で説明を聞いているため、人間が縦横無尽に施設内を行き来している状態だ。
1グループは20~30人程度だろうか?建物内では狭さを感じる。
展示内容は様々だ。
建物や施設の跡自体もそうだし、写真や日用品も多い。積み上がった日用品の山は、ここに収容された人数の多さを実感させる。
建物の廊下には収容された人々の顔写真がズラリと並ぶ。そこには名前・被収容日及び死亡日が併記されており、全員が確固たる個人として存在している。
「1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字に過ぎない」という言葉に対し、「ここにあったのは『100万人の死』ではない。100万の『1人の死』だ」と反論するかのように。
いわゆる「死の壁」。花が手向けられていた。
火葬場も通る。1つ1つの展示がズッシリと重い。
ビルケナウ
ツアーは14時過ぎに一区切り。ここからはバスで移動し、2~3kmほど離れたビルケナウ(アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の第二収容所)に向かう。途中離脱も可能らしいが、最後まで見ていこう。
多くの観光客を集めるだけあって、バスは豊富。右にはクラクフ方面行きのバス時刻表も出ていた。
ビルケナウ収容所の入り口に到着。レンガで作られた門(死の門)を潜ると……
これだ。
当時、被収容者を運ぶ列車が辿ってきた線路が門から敷地内へ伸びている。
そこから収容所の奥へと進んでいく。建物の数が多く、敷地も広い。プラットフォームには貨車が残されているが……どうみても家畜車とかその類だ。
そして、建物内を見る限り、被収容者が家畜未満の扱いを受けていたのは想像に難くない。
こちらは爆破された建物。ガス室跡か。ドイツ軍が撤退するにあたって、証拠隠滅のため爆破したらしい。
隠滅どころか、当時の暗部を象徴する施設としてしっかり保存されているのは、何の皮肉だろうか。
皮肉といえば……ここの景色は美しい。負の遺産であることを忘れてしまえば、「開けた視界、伸びる線路、高い空」という具合で、ゲームのタイトル画面にでも使えそうな勢いだ。晴れていれば完璧だったに違いない。
雨が降ったり止んだりのせいで、虹までかかる始末だ。我々はどんな顔をしてこの虹を見ればいいのだろう。
クラクフの夜
観光を終えたので、クラクフに戻る。また鉄道で戻る手もあったのだが、別手段を使ってみたかったのと、重たい観光でお腹が膨れていたので、その場で乗車できるバスを選択した。
17:45、クラクフ中央駅のバスプールに到着した。メチャクチャ揺れたが、私は終始うとうとしていた。
せっかく駅に来たので、ここで明日のきっぷを購入。ユーレイルパスは持っているが、唐突にワルシャワ行きを決めてしまったので、「特急券」が必要なのだ。
ワルシャワ発のきっぷを1人分のみ発券してしまうなど苦戦したが、窓口のお兄さんも丁寧に対応してくれて、何とか発券できた。代金は2人・往復分で5400円程度。安い。
で、きっぷをゲットしたので、夕食を求めて旧市街へと移動する。重たい観光でお腹が膨れたと言ったが、食事は別腹である。
円形の砦、バルバカンを横目に見つつ、フロリアンスカ門を通って旧市街へと入っていく。
広場の中央に位置する織物会館。中は市場になっており、多くの人で賑わっている。
広場では観光客向けの馬車が行き交う。
しかしまあ、道の広さこそ違えど、プラハの旧市街とは似た雰囲気だ。西洋人が日本と中国を見比べている時もこんな気分なんだろうか(※あなたの分解能が低いだけです)。
織物会館から南へ、トラムの線路沿いまでやってきた。
「地球の歩き方」に載っていた「Polakowski(ポラコウスキ)」という店が良さげだったため、入店。
大衆食堂といった雰囲気の店で、いわゆる「ミルクバー」に分類されるのだろう。
カウンターで注文をしたら、呼び出しベルを受け取る。日本のフードコートでもよく見かける、料理ができたら音で知らせるアレだ。
呼び出されたらカウンターまで受け取りに行く。今回はスープとポークカツレツを頼んだ。
スープはジューレックという郷土料理、発酵ライ麦スープだ。少し酸味がある。真ん中にセットするものが選択できたので、ポテトにしてみた。
カツレツは小サイズだが……大皿いっぱいに広がっているこれが「小」?いやいや。
味も店の雰囲気も良く、この2品+オレンジジュースで21.6ズウォティ≒(当時のレートで)683円とお値段も安い。
三拍子揃った優秀なレストランだった。……のだが、薄い本化のため2022年に調査すると、Google Map上で閉業扱いになっていた。嘘やろ……。
おやすみなさい
13時間ぶりに、宿へと戻ってきた。
まーた天窓。天窓に好かれてやがる。さすがに、連続の屋根裏部屋ではなかったが。
プラハの宿と比べると広くて綺麗だ。何故かテレビがつかなかったが、この際気にしないでおこう。
我々はゆったりとシャワーを浴び、ゆったりと就寝\ガタンガタンガタン/うるっせえ!!!
どうやら窓(天窓ではない)が開きっぱなしだったらしい。線路沿いなので列車の音がよく聞こえるのだ。締まらないなあ。