さらばブダペスト
7時半の起床。スマホで仕掛けた目覚ましが9:30設定になっていた気がするが、気のせいだろう。
早速朝食にありつく。ワッフルが美味しい。
本日は久々に、真っ昼間に国を横断する。ハンガリー→スロバキア→オーストリアという移動だ。
そのため国鉄駅に移動する必要があるのだが、その前にひと仕事。宿近くのスーパーでお土産を物色した後、メトロ1号線に乗りに行く。
メトロ3号線での移動が無難だが、本日は運休の模様。トラムで行こう。
いずれも街の中心部であるため、すっかり馴染みの地名駅名となってしまった。彼(?)らとも、間もなくお別れである。
ここには地下鉄博物館があったが、残念ながら時間切れだ。子供鉄道といい、鉄道関連の宿題が積み上がっていくなあ。
さて、メトロ1号線の様子がこちら。天井低っ!車両小さっ!!
このメトロ1号線、実は相当に歴史が古く、何と世界遺産「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」に含まれている。
世界最古の地下鉄はロンドン、その次がイスタンブールのテュネルだが、「地下鉄というか地下ケーブルカー」「1区間だけの路線のため実験的要素もある」ということで、「大陸初の本格的地下鉄」はこのブダペストのメトロ1号線になるだろう。
日本で言えば「アジア初の地下鉄路線」、銀座線と立場が近いか。
車内はこんな感じ。つり革と、車端部のボックスシートが面白い。
3駅乗って、「Oktogon:(八角形の)交差点の名前」駅で下車。短い時間だが、レトロな雰囲気をしっかり味わえた。
黄色い柵が目印の、メトロ1号線出入り口。ちなみに、ホームはめっちゃ浅い。目の前に見えている15~20段ほどの階段を降りると、もうホーム階に着いてしまう。
さあ、楽しいブダペストの旅も終わりだ。トラムで国鉄駅に向かおう。
昨日買った24時間券は10:19で効力が切れた。現在時刻は10:25のため、350フォリントの1回券をお買い上げ。
ブダペスト西駅(Nyugati pályaudvar/Budapest Nyugati)に到着。ハンガリー到着時に利用した東駅から、北西に約3km離れた位置に存在する。
東駅に負けず劣らず、こちらも美しい駅だ。
駅構内には「世界一美しいマクドナルド」が。ちょっといい感じのレストランのような内装になっており、ゆったり過ごせそうな空間だ。
コーヒーでも頼んで店内を楽しめばいいのだが、この3名はでんしゃに興味津々なので……
とっととホームに向かってしまう。
ドーム屋根の下以外にもホームがあり、様々な列車が止まっている。
2両編成の近郊列車。426型気動車だ。
S21系統のSzemély(普通列車)、Lajosmizse(ラヨシュミジェ)行きで、西駅を出た後は南東へ向かい、Gyál(ジャール)、Ócsa(オーチャ)、Dabas(ダバシュ)と経由していくようだ。
なお、ラヨシュミジェの南東20kmほどには国内第8の都市Kecskemét(ケチュケメート)があるが、ブダペスト~ケチュケメート間の輸送は別ルートでIC(インターシティ)が走っており、この路線は専らローカル輸送に徹している模様。
客車列車が行き交うので、電気機関車もよく見かける。この青/黄色の塗装はEF65などを思わせる配色だ。
ところで、ホーム上にどっかり居座る乗用車は何なんだろう。
時刻表。17番線まであるターミナルであり、さすがに発着本数が多い。
普通列車が多めだが、Esztergom(エステルゴム)行きのZónázó(いわゆる特別快速、区間急行)や、ケチュケメート経由Szeged(セゲド)行きのIC714なども確認できる。
我々が乗車するのは11:40発、ブラティスラヴァ・ブルノ経由プラハ行きのEC276だ。5番線に移ろう。
先程いた14~17番線の反対側。こちらにも列車が待ち構えている。
我々が乗る列車がこちら。機関車はシュコダ製、チェコ鉄道の車両だ。
編成には食堂車が付いている。「機関車-1等車-食堂車-2等車×複数」という編成のようだ。昼時だし、後で利用することにしよう。
ノーマルな横2+2人がけの座席車もあったが、今回は6人がけのコンパートメントに陣取る。
個室の入り口にはチケットホルダーがあり、黄色い札が挟んである席は予約済み。何も入っていないコンパートメントを使おう。
コンパートメント内には照明のスイッチや荷物棚がある。コンセントも用意されており、この辺は寝台車の設備とそう変わらない。ただし、鍵は掛からない。
うろちょろしている間に列車は出発。
25分ほど走り、Vác(ヴァーツ)に到着。由利本荘市の友好都市だ。
ブダペストから見ると、途中のブラティスラヴァは北西にある。地図を見ると、ハンガリー第6の都市・Győr(ジェール)を通っていくのが最短っぽいが……
この列車はドナウ川沿いを走っており、ブダペスト(★)からヴァーツ(△)までは北微東くらいの角度で進んでいく。
そこから進路を西に取り、スロバキアへ。Štúrovo(シュトゥーロヴォ、▽)からは川を離れてNové Zámky(ノベー・ザームキ、□)経由でブラティスラヴァ(●)に到着、というルートだ。ジェール(✕)は通らない。
なお、シュトゥーロヴォの対岸はハンガリー・エステルゴムである。ブダペスト→エステルゴム→スロバキア国内と行っても良さそうなものだが、残念ながらエステルゴムの駅は終着駅で、スロバキア方面へは伸びていない。
都市部以外はこのような風景が多い。チラチラとドナウ川が見える以外は、ポーランドの景色とそう変わらない印象だ。
ところで、12時も過ぎたし、そろそろお楽しみの時間だろうか。
食堂車だー!
こちら側がカウンターになっていて、奥の1等車側にはテーブル席があるようだ。
食事は座席に持ち帰ることもできるとのこと。荷物を見張る必要があるので、テイクアウトしていこう。
チェコ鉄道の車両のため、チェコ料理っぽいメニューが多かった。今回は肉料理を選択。
肉は小さめだが意外に食べごたえがある。プラスチックのナイフとフォークが提供されたので、切り分けつつ賞味。ソースが濃厚で美味しい。
飲み物(コーヒー)も付いて244コルナ(≒1220円)。やはり市内で食べるより割高ではある。だが、食堂車もまたアトラクションのようなものだ。楽しめたので良しとしよう。
というか、機会があったらこの先も使ってやるからな。覚悟しておけ。(?)
食事などをしている内に、列車は国境を超えた。2回の検札が入り、この列車が国際列車であることを実感する。
他にも、ハンガリーでは生声放送っぽかったのが、スロバキアでは自動放送になったり、列車が揺れるようになったり、私のスマホのSIMが使えなくなったりしている。情報は3日ぶりに「地球の歩き方」から得るとしよう。
第一次ブラティスラヴァ事変
14:14、10分弱の遅れでブラティスラヴァ中央駅(Bratislava hlavná)に到着。駅のホームはかなりカーブしている。真東から北西に抜けるような角度だ。
向こうにも赤白の客車列車が止まっている。市内観光の前にあれも見ていこうか。えーっと、隣のホームに渡るには……
これか。
左右を見て列車が来ないことを確認し、踏切を横断。それでは撮影をしよ警備員「ハロー?」
2名の警備員が話しかけてきた。ワルシャワ以来、3日ぶり2度目である。
また「オンリートレイン」を確かめにきたのかな?2度目だし慣れたもんよ。
ぼくら「こんちはー」
警備員「ちはー、そこの構内踏切渡ったらアカンでー」
ぼくら「えっ、サインとか何も出てないやん?ダメなん?」
警備員「せやで、罰金は10ユーロな」
なあああああにいいいいいいいいいいい!!!!????
そんなバカな、他に隣のホームへ移る手段など……
あった。駅のど真ん中に地下道が設けられており、乗客はそこを使うべきだったのだ。
しかし……、到着時の写真を再度見てほしい。
地下道、分からん。
実は、駅舎に直結したこのホームに関しては、駅舎側に1歩引っ込んだところに地下道への入口があったのだ。この角度では見えない。
隣のホームにある階段も、列車で視線を遮られていて見えない。
降りてすぐ駅を出る一般の観光客であれば、大した問題にはならないだろうが……「外へ出る前に列車の撮影を」などと考える我々の趣向が仇となった形だ。
しゃーないので、3人仲良く10ユーロずつをお支払い。
ここスロバキアからフランスまでが、本旅行におけるユーロ圏なのだが、まさかユーロでの最初の買い物が罰金の支払いとは……。こんなバッドイベント、1人旅であれば心がポッキリ逝ってもおかしくない。
幸いだったのは以下の3点だ。
- 罰金が安かった
10ユーロなら払えない金額ではない。1000ユーロとか請求されたらどうしようかと……。 - 警官が(たぶん)本物だった
ヨーロッパ全土でのあるあるらしいが、「偽警官」が巧みに話を進めて、現金やパスポートを奪っていくという手口があるらしい。
今回は少額の罰金で許してもらえたし、一度見せたパスポートも帰ってきた。罰金の「違反切符」も切ってきたので、まあ本物とみていいだろう。 - 3人旅だった
何よりこれが大きい。お陰様で、多少落ち込みつつも「非売品のお土産10ユーロで買えたわガハハ」くらいの精神状態でいることができた。
心が折れていたら、この後は観光どころではなかっただろう。
しかし、目立ったサインや柵やテープもなく、トラムの停留所では平気で線路横断する人々を見てきたので、何だかしてやられた感じだ。
警官2名も、我々が踏切を渡ろうとしている時点では声をかけず後をつけ、渡り切ったところで話しかけてきたので、「何も知らん観光客から小遣い巻き上げたろwww」くらいの案件だったのかもしれない。
読者の皆様、ぼくらの二の舞を演じないよう、構内踏切にはご用心を。
ブラティスラヴァ市内観光
落ち込んでばかりはいられない。中央駅構内の手荷物預かり所にスーツケースを預け、トラムで旧市街へ繰り出す。
ブラティスラヴァ近辺の交通網はゾーン制料金のようだ。ブラティスラヴァ中央駅周辺はゾーン100と101があるようだが、正直良く分からない。
まあ大丈夫やろ、と15分券を購入。100+101のゾーン内で有効、お値段0.7ユーロ。当時のレートが1ユーロ=125円程度なので、90円くらいか。
トラムの車両は意外に近代的。後で知ったが、アプリやICカードでの乗車も可能なようだ。我々は紙のチケットを購入したので、打刻機にぶちこむ。
旧市街の入口に近い「Poštová-Martinus(ポストヴァー・マルティヌス)」停留所で下車。
ブラティスラヴァは人口40万人ほど。そのため、プラハやブダペストに比べると静かな街だ。
ミハエル門を潜って旧市街にin。
こぢんまりとしてはいるが、観光客はそれなりに歩いている。停留所周辺より賑やかだ。
旧市街を進み、幹線道路の近くまでやってくると、聖マルティン大聖堂がある。
14世紀に建てられた歴史ある建物で、「ハンガリー」王の戴冠式も行われていた。当時はハンガリーの領土かつ、ブダがオスマンに占領されていたので。
残念ながら、内部は撮影禁止?のようだったので控える。またトラブったら面倒だし……。
ブダペストで観た聖イシュトヴァーン大聖堂に比べると、石造りの柱や壁はシンプル。しかし高い位置のステンドグラスが非常に鮮やかで、いいアクセントになっている。尖塔が目を引く外観もグッドだ。なので落書きはやめて差し上げろ。
また、聖堂内ではオルガンによる演奏が行われていた。とんでもない爆音で。
聖マルティン大聖堂のすぐ側を通る幹線道路。ドナウ川を渡る橋が見えている。大聖堂は写真のさらに左側だ。
どうやら川向こう(南側)の市街地は新しい街らしく、近代的なビルや団地風の建物がニョキニョキしている。
鉄道でもBratislava-Petržalka(ブラティスラヴァ-ペトルジャルカ)駅というもう1つの玄関口があり、ウィーン行きの列車は向こうから出発するものもあるようだ。
お次はブラティスラヴァ城へ行ってみよう。直線距離はともかく、なかなかな急坂を登る必要がある。石畳もボコボコで、ちょっとしたハイキングだ。
トロリーバスが力強く登坂していく。乗りてえなあ。
10分ほど登り続けて、入口らしき門に到達。ウィーン門という名前らしい。
案内板のイメージ図を見ての通り、ブラティスラヴァ城のメインの建物は「机をひっくり返したような」形状になっている。
実際に見るとこんな感じ。白い壁と四隅の塔が青空に映える。正面に回ってみよう。
スロバキア国旗の棚引くブラティスラヴァ城。右の像は9世紀のモラヴィア王・スヴァトプルク1世のようだ。
中庭から見た景色。建物や中庭、柱の雰囲気が某大学の本館講義棟を思わせる。柱が浮いていたら完璧だった。
建物の東側は緑地になっている。その中には史跡と思しき石組みが展開している。
聖マルティン大聖堂と旧市街を望む。曇りの日が多いこの旅行、今日は青空が広がっていたが、ここにきて雲が増えてきた。
「曇り空は我々の旅の行く末を暗示している説」
「ゆーてこれまで大雨降ってないじゃん」
フラグを建設するな。
さて、時刻は17時過ぎ。少し早いが、ウィーン行きの列車まで暇がある。ブラティスラヴァで夕食も食べていくとしよう。「地球の歩き方」に載っていた「1.Slovak Pub」に入店する。
トマトのサラダと、魚料理が食べたいのでマスの焼いたのを注文。
フォークと見比べてほしい。でっか。
塩でシンプルに味付けされており、デカさの割にはあっさりめで美味。3人合計38.5ユーロと、お値段もリーズナブル。いい店だった。
ご飯を食べ終えると、外はすっかり暗くなっていた。さあ、ウィーンに向かって出発しよう。
何だかんだで、ブラティスラヴァもいいところじゃないか。我々の評価も持ち直しつつあった。
第二次ブラティスラヴァ事変
18時半ごろ、ブラティスラヴァ中央駅に帰還。預けていた荷物も受け取って、いざ列車へ。
我々が乗るのは18:38発のウィーン中央駅(Wien Hauptbahnhof)行きだ。電光掲示板では発車ホームも示してくれている。
……ん?
プラットフォーム表示、なしw
他は3番ホームだ4番ホームだと表示があるのに、我々の乗る列車だけ何も書いていない。入線したらお知らせするのかな?
あの……出発1分前……。
そしてこの直後、18:38になった瞬間、電光掲示板から表示が消えた。
これには駅にいた客が一斉に困惑。窓口にて事情説明を求める。我々もA氏を派遣して、情報を収集してもらう。その結果……
お前お前お前お前お前お前
両駅は5kmほど離れている。新宿駅に来たら「次の列車は池袋発ね」と言われるようなものだ。おまけに両駅を直接結ぶ国鉄線はなく、山手線や埼京線抜きでの移動を強いられている状態だ。
振替乗車制度があるかとか気にしている場合ではない。再び1回券=バスのチケットを購入しなくては。相変わらずゾーンがよく分からんのでバスの運転手に聞いてみる。
「huh?(意訳)」
クッソ塩対応。
さらに券売機が絶不調。B氏の現金が呑まれた疑惑に、硬貨受け付けてくれない疑惑。ゴチャゴチャやっている内にバスを1本逃してしまい、中央駅を出たのは19時前。間に合うか……?
揺れ・跳ね・幌を激しく叩く雨に苛まれつつ、連接バスで街中を駆けること15分、ペトルジャルカ駅に到着。
駅舎があるのは西側だが、バスは東側に到着。吐き出された乗客の軍団がオタクダッシュ。急げ!
駅をゆっくり撮る暇もない。目の前に止まっていた列車に飛び込む。
セーフ。ギリギリでウィーン行きの列車に間に合った。
オーストリア連邦鉄道(ÖBB)の近郊列車・4124型で、先頭車はハイデッカー仕様だ。コンセントは付いていないがWi-fiを搭載しており、座席もいい。一息つくことができた。
ドイツ語圏へ
ブラティスラヴァとウィーンは、それぞれ一国の首都である。が、両者は非常に近く、60kmと離れていない。
だもんで、普通列車でも1時間も走れば到着である。
20:17、ウィーン中央駅に到着。これで東側諸国を抜け出したことになる。遅くなってしまったので、撮影はせずに宿に向かおう。
無理だった。
ウィーン中央駅は近代的な駅で、列車もカッコいい。ブラティスラヴァと雰囲気が全く違う。B氏曰く、「文明レベルが上がった」。
また、ドイツ語圏に入ったことで、目に映る文字列はドイツ語がメインとなる。私とB氏は大学の第2外国語講義でドイツ語を選択していたため、何となく安心感を覚える。
ここからはトラムで市街地の中心部へ出る。ところでチケット売り場はどこですか?
結局分からなかったので、車内でお支払い。車内価格だと割高で、0.2ユーロ余計にかかってしまった。
20分ほど乗車し、「Schottentor:ショッテントーア(城壁の門、地区の名前)」停留所で下車。
ここはウィーンの中心部にある環状道路、いわゆるリング(リンク)の一部だ。
幅にゆとりのある道路には街路樹が目立ち、トラムの停留所は2層構造になっており、ヴォティーフ教会はファーウェイの広告に隠されて修繕中である。
面白い場所なのだが、我々は今度こそ撮影もせずに宿へ。10分ほどの道のりでまた雨が降ってきてぐぬぬ。
本日の宿は「Hotel-Pension Bleckmann」。エレベーターは籠の外側の扉が手動だったり、「部屋のある部屋」に入るための鍵が必要だったり、特殊な構造だったのでまたゴチャゴチャと対応し……
やっとの思いで部屋に入れた。
時間にすれば中央駅から1時間ジャストで、中央駅での撮影時間込みならこんなもんだろう。
ただ、ブラティスラヴァで色々あった挙げ句、プラスアルファで労力がかかった。相応の疲労感を獲得した我々は、揃ってベッドに倒れ伏すのであった。
おまけ
ぼく「今日を振り返ると?」
B氏「ハンガリーは良かった、スロバキアのイメージは悪くなった」
A氏「もう二度と行かない」