賑やかな街
6:30ごろ、起床。朝食はまだ、A氏は寝ている、回線が死んでいる。二度寝。
7:30ごろ、改めて起床。列車はとうにハンガリー国内へと入っている。
今回も温かいコーヒーor紅茶のサービスがあった。パンと一緒にいただく。
様々な列車を横目に見つつ、
8:59、ブダペスト東駅(Keleti pályaudvar/Budapest Keleti)に到着。定刻より25分ほど遅れたが、問題はない。
ブダペスト東駅は頭端式ホームのため、乗ってきた列車には回送用と思われる機関車がくっついていた。
我々を載せた客車を引っ張ってきた機関車はこれ。塗装がとってもチェコ共和国。チェコスロバキアの独立100周年を記念したものだろうか。
やがて、機関車を1両残して車庫へ向かっていった。
近すぎる。
ドーム屋根と駅舎の装飾が美しいブダペスト東駅。実に135年モノという、歴史ある建築物だ。
さて、このブダペスト(ハンガリー)からは「地球の歩き方」に頼れない。各国分買うと出費が嵩むし、重量もバカにならないだろうから、購入していないのである。
スマートフォンという文明の利器を使って頑張っていこう。路線図などをWebから探し出して用意しておく。
まずは市内移動用の24時間チケットを購入。ハンガリーの通貨はフォリント(Ft)だ。当時は1円が0.4フォリント程度(※当時のレート)なので、1650フォリント=660円といったところか。お安めだ。
このチケット販売機は東駅を出てすぐの階段を降り、メトロのブダペスト東駅に向かう最中にあったものだが、同じくチケットを求める観光客が多く見られた。しかも、日本語が聞こえてきた。
ポーランドに比べると急に賑やかになった印象だ。
ブダペストの地下鉄は4路線。ブダペスト東駅を終点とするメトロ4号線は、2014年に完成した若い路線だ。地上駅と違って、地下の東駅は近代的な香りがする。
ハンガリー国立博物館にほど近い、「Kálvin tér:カールヴィン(神学者の名前)広場」駅で下車。しかしまあ、ポーランド語に引き続きマジャル語も読めねえ。
何しろこの言語、「ウラル語族」と呼ばれるグループに入るのだが、親戚はウラル山脈周辺や北欧、バルト方面の諸言語であり、周囲の地域の言語とは全くの別物なのだ。
姓名は姓が先に来たり、文法的なところが近かったり、日本語にも少し似ている。でも単語が分からないので分からない(おめめぐるぐる)。
駅からドナウ川方面に数分歩き、宿に到着。「Hotel Kalvin House」は建物の中に入った後、吹き抜け構造のエリアを2階に上がってフロントに辿り着くタイプの宿だった。
宿に荷物を預かってもらい、「Köszönöm(クスヌム、「ありがとう」)」と伝えてみる。宿の人に発音が完璧だと褒められた。やっぱり日本語に近いのかなあ。
ブダペスト市内観光1
まずは現金づくりを兼ねて街を散策。「GOLD EXCHANGE」という店のレートがいいらしいとA氏が聞きつけてきたので、探すことにする。
宿の近傍にはランドマークのブダペスト中央市場が鎮座している。
黄色と白のツートンカラーが特徴のトラム車両。その横を赤いトロリーバスが走っていく。
日本では絶滅危惧種のトロリーバスだが、ブダペストではバリバリの現役選手だ。
ドナウ川の対岸を見やる。橋を渡った先にはゲッレールト温泉、その左手にはブダペスト工科経済大学が見えている。
終着の停留所にいるトラム。ブダペストのトラムは両側に運転台があり、こうして折り返し運転をする。
また、ドナウ川沿いでは、川に沿って走る路線と、渡河して対岸へ向かう路線とが、こうして立体交差を形成する。
写真の場所(「Boráros tér:ボラーロシュ(政治家の名前)広場」)では停留所自体が2層構造になっている。見ていて非常に楽しい。
また、同停留所には郊外電車・H7号線の始発駅もある。
小柄な車体にでっかいパンタを積んだこいつ(MXないしMXA型)は、Wikipedia先生曰く40~50年選手らしい。マジ?
うろちょろしているだけでも楽しいが、そろそろ本格的な観光スポットへ向かうとしようか。目的の店で現金も作ったことだし。
トラムで川沿いを北上。そこには……
先程見たものとは別の橋が架かっている。これこそ、2つの都市・ブダとペシュトとを最初に繋いだ橋、セーチェーニ鎖橋である。
橋の袂にはライオン像があり、中央には立派な門が構えている。
街の中心に位置するだけあって、クルマも人も多く行き交う。ただ、歩行者用の道は十分な広さがあるので、撮影のため足を止めるくらいのことは可能だ。
足場はしっかりしているものの、今日は風が出ていて、若干の怖さを感じる。
プラハで見た。
どんより曇り空のドナウ川。青空ならば、建物の赤色が映えるんだろうなあ。
橋を渡り切り、ブダ側に到着。渡った先はラウンドアバウトになっている。
その向こうはブダ王宮(ブダ城)のある丘が広がり、麓には観光客向けのケーブルカー乗り場がある。
歩いても登れる場所だが……夜にオペラの予約を入れており、ここで時短する意味があること、アトラクションとして乗ってみたいことが重なり、チケット購入列に並ぶことに。
お値段は片道1200フォリント(≒480円)。往復1800フォリントのチケットもあったが、帰りは別の道と手段をとることにしよう。
車両はこんなの。電話ボックスを斜めに連結したような格好で、それだけ傾斜がキツイということだ。
傾斜はこんな感じ。何度あるんだろう……。
対向列車とすれ違い、ペシュト方面の景色を眺めているうちに、
丘の上に到着。
城の建物の前は広場になっており、ドナウ川と対岸の街がよく見える。曇っているのが残念だが、美しい眺めだ。
「実はここパリだよ、あれセーヌ川」
こいつらさあ……。
そして城内南側にある観光スポット、ブダペスト歴史博物館へ。
ここは地下1F、0F、1F、2Fまでの4階層に分かれており、地下1F(一部だけ地下2F相当)は中世のブダ王宮を紹介している。出土品の展示なども数多く、考古学的な色合いが強い。同じく、0Fは近現代の王宮の紹介だ。
1Fはブダペストという都市、そしてハンガリーという国(地域)の歴史の紹介だが、オスマン帝国に関する展示や説明が多かったのが印象的だ。直接支配されてたからねえ……。
ハンガリーという国、近世においてはオスマンとオーストリアに分裂支配され、近代においてはWW1で領土を削られ、WW2で戦場となり、共産主義政権でハンガリー動乱を経験し……と、実に波乱万丈である。戦争しまくり、王宮もぶっ壊れまくりだ。
その歴史をまるっと紹介しているのだから「薄い」はずもなく、あっという間に2時間が経過。後を考え、2Fの展示を泣く泣くスルーしてしまった。
それでも、興味深い品々に、学生1200フォリントという安い入場料。大満足である。考古学や歴史学を齧っている人にとっては、知的好奇心を擽られる、いい場所に違いない。
「こういうとこ、鈴木の佳奈さんと来たいわね」
こいつさあ……。
それはさておき、遅めの昼食を敢行しよう。14時半ごろ、ブダ王宮近くの「21 - Magyar Vendéglő(21 マジャル ベンディーグルー)」に腰を落ち着ける。
落ち着いた雰囲気の店で、ハンガリーの郷土料理・パプリカチキンをいただく。優しい味で、心安らぐお料理だ。一緒に注文したサラダもソース(たぶんオイルビネガー)に合っていて美味い。
お値段はパプリカチキンが1600円、サラダが500円、カフェラテが400円程度。観光地値段という環境要因もあるし、まあ想定の範囲内か。ポーランドとの対比で高く見えるが。
ブダペスト市内観光2
現在時刻は15:20。先述の通り、今日はオペラを予約している。18時からだ。もう少し王宮近辺をうろついて、麓に戻ろう。
三位一体の広場。13世紀に建てられたマーチャーシュ教会の尖塔が威光を放ち、その前には18世紀に建てられた記念碑が佇んでいる。
この塔は疫病が再び流行らないようにと建てられたものらしい。当時の我々は「ほーん」という態度だが、この丸1年後、ブダペストにて新型ウイルス感染疑いのある邦人が留め置かれる事態になろうとは、露ほども思っていない。
教会の中にも入りたかったのだが、入場料の元を取る時間的余裕があるか不明だったのでパス。
三位一体の広場のすぐ側にあるのが、聖イシュトヴァーンの騎馬像と漁夫の砦だ。名前の通り、漁業組合が築いた砦だそう。
内部を見るには入場料が必要だが、無料エリアに立ち寄るだけでも楽しい造りで、景色も◯。王宮前より景色いいかも?
こっちには入場料を払って入ってみよう。ブダ王宮の丘にある「地下迷宮」。古くは王宮の倉庫や監獄として、近代では防空壕として使われていた洞窟である。
入場料は学生2500フォリント(≒1000円)。
この施設、観光客はお化け屋敷を歩くかのように楽しんでいたが、運営側もその辺を分かっているのか、スマホライトが必要なほど暗くしたり、オペラを流したり、スモークを炊いたり、やりたい放題である。
クッソ怖いのでやめてくれませんか?やめろ(豹変)
総延長は1kmほどもあるそうで、洞窟をじっくり観察しながら歩けば30分~1時間は必要だろう。内部は写真撮影不可なので、是非現地で味わってみていただきたい。
17時過ぎ。ブダ王宮の丘からバスで降り、街中に戻ってきた。めっちゃ揺れた。
ちょっと早めだが、オペラが開催される劇場に到着。補修のため工事中のようだ。
しかし、1時間の早着とはいえ、やけに客が少ないような……?警備員を捕まえて聞いてみよう。すみませーん。
……。
…………。
えっ?
ここで衝撃の事実が発覚。友人A氏、劇場の場所を間違えていた。
我々が今いるのはハンガリー国立歌劇場(赤矢印、Magyar Állami Operaház)。
行くべき場所は2km離れたエルケル劇場(青矢印、Erkel Színház)。
全くの別物である。はあああああ(ため息)。
間違ってしまったものは仕方ない、まだ45分の猶予があるので、せこせこ歩けば間に合うだろう。
早速出ぱ A氏「そっち逆方向。」
はああああああああああ
(クソデカため息)
このポンコツ共、大丈夫か……?
夜の帳が下りつつあるブダペストの街を早歩きで駆けていく。道中、トラムやら何やら、面白そうなものに目を引かれては足が止まる。はよ歩け。
開場10分前、何とか間に合った。
内部はレトロだが古臭くはなく、安いチケットながら座席の感触も良い。居心地はなかなかだ。
また、壇の上部にある電光掲示板で、マジャル語+英語の字幕を出してくれる。おかげでストーリーが把握しやすく、とてもありがたい。
幕間に外へ出てみると、荷物の出し入れや軽食/ドリンクの買い物で賑わっていた。こういった光景は日本の劇場と大差ないようだ。
本日の公演内容は「カルメン」。非常にポピュラーな作品だが、私はカルメンもオペラ自体も初めてなので非常に新鮮であった。
モブが多く登場したり(なので、時々動きが「かっちりしていない」人がいる)、光を明滅させてコマ送りのようにしたり、その間私は「トリアドール」が「トリアノン」に聞こえて「これはハンガリー」と思うなどしたり。
それと、とあるWebサイトでは「『カルメン』は『カルメンが可哀想な物語』『ホセが可哀想な物語』の2通りで解釈ができる」と述べられていたが……真に可哀想なのはミカエラでは??(てきとう)
観劇終了後、メトロで移動して夕食。Kálvin tér駅近く、ハンガリー国立博物館の向かいにある中華料理屋「Flour Style Wok Bar」でチキンラーメンを。
ここでアジア料理を選択したのには訳がある。2人共疲れていたのだ。
特にA氏が強烈にアジア料理を欲しており、私もまた「この辺で休憩入れてもええな」という態度だったので、このような結果になった。
実際、薄味のスープと、
店内の漢字装飾に心癒されるひと時となった。ヨーロッパ旅行で疲れた日本人、中華料理屋を探すといいぞ。
おやすみなさい?
22時過ぎ、宿に帰還。
お部屋ひろーい!
天井たかーい!いやいや高すぎだろ、バスルーム扉の高さの2倍弱って。
この部屋にはシャワールームだけでなく、バスタブもついていた。久しぶりに湯を溜めて入浴しよう。
湯に浸かってさっぱりしたところで、本日は就寝……は、まだしない。