ねこのまどろみ

鉄道・旅行・やきう・その他日常のちょっとしたことをつれづれなるままに綴っております。にゃん。

言語にまつわるエトセトラ①

こんばんは。飛鷹です。

 

 

今回は言葉のお話をば。

 

ツイッターなどを見ていると、どこか妙な日本語を使っている人をよく見かけます。

時々、意見の本質から外れている日本語のミスを指摘しているリプライなどがあって、「ネタにマジレス」に近いモヤモヤを感じることもありますね。

 

こういったやり取りを目にすると思い出すのは、「今も昔も『近年の日本語は崩壊している』と嘆く人はいる」という話です。誰から伝え聞いたのかは忘却してしまいましたが、「故に、『最近の若者は日本語がなっとらん』などなど言われても気にする必要はない」と結んでいた、そう記憶しています。

 

まあ、日本語がある時点から全く変質せずに現代まで生き残っていたら大変ですよね。未だに公文書が漢文だったり、ひらがな/カタカナが存在しなかったり、何なら大和言葉が純度100%で現存しているかもしれません。

そうでないということは、日本語は今まで変わり続けてきたし、これからも変わっていくということなのでしょう。「ら抜き言葉」が市民権を得つつあるのも、こういった流れの中では自然なことなのかなぁと思います。

 

私はそれらを批判することはないですし、そもそも批判する権利がありません。

後輩どもとのどつき合いではネットスラングなどを多用していますしね。

 

 

ただし。

 

 

私にもどうしても受け入れ難い言葉遣いというものはありまして。

 

「いう(言う)」→「ゆう」、テメーはダメだ。

 

どんな媒体であれ、どんな話者であれ、この言い回しが出てくると「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」と唸り叫び転がり回りたくなります。

「ってか」→「てか」あたりはムニャムニャしつつも「誤差の範囲内だ」と、何とかスルーできるのですが、「てゆーか」まで砕けるとダメですね。「そういうこと」→「そゆこと」などもキツイ。

 

それから、「そうそう(同意の意)」→「そそ」ですね。もしも小説やノベルゲームを読み進めている最中にこんな表現が出てきたならば手に持ったものを投擲したくなること請け合いです。

 

 

尤も、「そもそも」→「そも」は単なる現代的省略かと思いきや古き良き表現だった、ということもありました。

私が苦手な言い回しは他にもいくつかありますが、それらも日本語の歴史を紐解けばどこかで出会える由緒正しき表現なのかもしれません。

 

また、由緒正しくない表現であっても、「ら抜き言葉」同様にこれから浸透していく可能性はありますし、結局のところ、「私自身の好き嫌い」という面が大きいのでしょうね。

 

 

……ということで、言葉にまつわるお話でした。

機会があれば同じような話をまたしたい、という願望を込めて、「連載」カテゴリーを作成しておきましょう。